予言漫画を描いたとして注目を集めるたつき諒さん。
1999年に発売された「私が見た未来」では、2011年3月の東日本大震災を見事的中させています。
そんなたつき諒さんの予言一覧を表でまとめました。
当たったものからまだ当たっていないものまでピックアップ!
さらに、今世間を賑わせている「2025年7月5日」という日付。
いったい2025年7月5日に何が起こるのでしょうか…
そこで今回は「たつき諒予言一覧!2025年7月5日の予言ネタバレも徹底解説!」と題してお届けしていきます。
本当の大災難2025年7月にやってくる
↓完全ネタバレはコチラ↓
たつき諒の予言一覧
たつき諒さんの予言を一覧にまとめました。
予言一覧 | 夢を見た日付 | 実際に起こった日付 |
---|---|---|
見知らぬ女性の死 | 1989年8月27日 | 1990年8月 |
フレディ・マーキュリーの死 | 1回目:1976年11月 2回目:1986年11月28日 | 1991年11月24日 |
ダイアナ妃の死 | 1992年8月31日 | 1997年8月31日 |
自分の死 | 1995年11月26日 | ー |
富士山噴火 | 1回目:1991年8月20日 2回目:2002年5月27日 3回目:2005年6月11日 | ー |
東日本大震災 | 私が見た未来の 原稿〆切の日 | 2011年3月11日 |
2025年7月の大災難 | 2021年7月5日4:18AM | ー |
これらの予言は、たつき諒さんの著書「私が見た未来」に描かれています。
たつき諒さんは、夢で見たことが現実に起こるという予知夢を度々経験しており、「夢日記」というノートに夢の日付と詳細を記録しています。
夢日記は基本的に枕元に置いているんだとか…!
では、「私が見た未来」で描かれているたつき諒さんの予知夢についてネタバレしていきます!
見知らぬ女性の死
たつき諒さんの予言に「見知らぬ女性の死」があります。
1989年8月27日、たつき諒さんは夢の中で「洞窟のような場所で何かを言いたそうにしている女性」を見ます。
1年後の1990年8月、近くの公園を散歩していると、夢で見た同じ形の洞窟を見かけたため、「夢日記に挟んでおこう」と写真を撮って帰りました。
その数日後、たつき諒さんが写真を撮った洞窟で「女性の遺体が見つかった」というニュースを見たのです。
しかも、亡くなった女性の衣服や特徴まで夢の中の女性と全く同じ…
これは、場所・日付(8月)・女性の特徴が的中しています。
フレディ・マーキュリーの死
たつき諒さんの予言に「フレディ・マーキュリーの死」があります。
フレディ・マーキュリーは、世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年11月24日に45歳という若さで亡くなりました。
たつき諒さんは、「フレディがいない」という夢を2回見ています。
1回目:1976年11月
2回目:1986年11月28日
1回目は、テレビのニュースで「フレディが流行病で亡くなった」という夢。
2回目は、クイーンの銅像の中にフレディの銅像だけがなく、他のメンバー3人+知らない男の銅像の計4つが並んでいた夢。
どちらも夢も、フレディが亡くなった11月に見ています。
さらに、イギリスの新聞でフレディの訃報が報じられたのは、1991年11月28日でした。
まさに、たつき諒さんが2回目に見た夢の日付と一致しています。
たつき諒さん自身は、死んだ日の予知ではなく、現実に知るという予知だったのではないかと推測しています。
ダイアナ妃の死
たつき諒さんの予言に「ダイアナ妃の死」があります。
ダイアナ妃は、イギリスの元皇太子妃であり、1997年8月31日に交通事故で亡くなっています。
たつき諒さんが夢を見たのは、1992年8月31日。
ちょうど5年後…
お城の中で赤ちゃんを抱いた女性の絵と、絵の中に「DIANNA」というスペルが見えたようです。
たつき諒さんは、夢の時点ではダイアナ妃とは分かっておらず、さらに彼女が亡くなるイメージもなかったと言います。
ただ、日付と名前を的中させていることが分かります。
自分の死
たつき諒さんの予言に「自分の死」があります。
たつき諒さんは、1954年12月2日生まれの70歳(2025年2月時点)。
1995年11月26日、たつき諒さんは、自分のお葬式の夢を見ています。
夢を見たのは11月ですが、夢には日付がはっきり「7月15日」と見えていたようです。
さらに、2007年5月14日には「5月25日私が死ぬ」という夢も見ています。
夢占いによると、自分の葬式の夢は「嫌な性格が死に人格が変わる」「大きな富が舞い込む」「人生の新たなスタート」などを意味しますが、、、
たつき諒さんは、この夢が何を意味しているのかは分からないと言います。
富士山噴火
たつき諒さんの予言に「富士山噴火」があります。
たつき諒さんはこれまでに富士山に関する夢を3回見ています。
1回目:1991年8月20日
2回目:2002年5月27日
3回目:2005年6月11日
1回目は、富士山が大噴火するシーン。
2回目は、梅畑から遠方に望む富士山。
3回目は、セスナ機から見た富士山の噴火口。
ただ、たつき諒さんは、夢の通りに富士山が噴火するとは思っていないようです。
富士山噴火に関する予知夢の真相については、こちらの記事でまとめているので、合わせてご覧ください。
東日本大震災
たつき諒さんの予言に「東日本大震災」があります。
1999年に出版された「私が見た未来」の表紙にある、「大災害は2011年3月」という文字。
「2011年3月」という年号は、「私が見た未来」の原稿の締切の日に夢で見たとのこと。
本当は「1999年の災害は小規模に、そして大災害は2011年3月に」と書くつもりでしたが、原稿の締切も迫っていたため、急遽年月だけ加えたようです。
たつき諒さんは、津波の夢を10代の頃から見ており、1981年に見た大津波の夢を日記に描いています。
ただ、その大津波の夢は、東日本大震災の津波の予知夢だったかどうかは分からないと言います。
- 東日本大震災は冬だったが、夢の中の自分は半袖姿の夏服
- 津波の高さは、東日本大震災よりももっと巨大だった
よって、東日本大震災の年号こそ的中させましたが、実は2025年7月に関わる予知夢だったのではないかと思っているそうです。
たつき諒2025年7月5日の予言ネタバレ
たつき諒さんが2025年7月5日に起こると予言しているのは、日本列島を襲う大津波です。
たつき諒さんは、空からの目線で地球を見ており、突然日本とフィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂(噴火)した夢を見ています。
夢を見た日は、2021年7月5日4:18AM。
その結果、海面では大きな波が四方八方に広がり、太平洋周辺の国に大津波が押し寄せます。
津波の高さは、東日本大震災の3倍はあろうかというほどの巨大な波。
震源地として見えたのは、北は日本・西は台湾・南はインドネシアのモロタイ島・東は北マリアナ諸島を結ぶひし形の中心です。
しかし、事前に準備しておいたことで多くの命が助かり、速やかに復興に向かって人々が活き活きと暮らしている明るい未来像も同時に見えています。
夢を見た日が現実化する日ならば、次にくる大災難の日は「2025年7月5日」ということになります。
本当の大災難2025年7月にやってくる
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まとめ
以上、「たつき諒予言一覧!2025年7月5日の予言ネタバレも徹底解説!」と題してお届けしました。
東日本大震災を予言していたとして一躍有名になったたつき諒さん。
数々の予知夢を経験しているたつき諒さんですが、予言一覧では挙げていない予知夢もいくつかあります。
人質事件の赤ちゃんの顔を夢で見ていたり、会ったことのない友人の彼氏の顔を夢で見ていたり…
そして次は、2025年7月5日に日本列島を襲う、地球規模の大災害が見えていると言います。
より詳細なネタバレを知りたい方は、ぜひ書籍を手に取ってみてくださいね。